すべてやっかみと自己嫌悪

水曜日のダウンタウン「スベリー1グランプリ」にて、企画の性質上つまらなかったほうが勝ち抜いていくことで不自然になってしまう審査に対して、観客の納得感を高める役割を担わされていたウエストランドが、推薦芸人が集まる控室に入って来るやいなや「面白くない!面白くない!」と騒いでいるのが本当に好きだった。

M-1チャンピオンという肩書、井口が違和感を言語化できるからこそ、逆に褒めるほうにもその能力を活用できるだろうという信頼、そして、潜在的に井口が人から下に見られる前提、その『小市民』が伝わっている分、その喚きにも全員が耳を傾ける。M-1優勝後、1年間各媒体で信頼を重ねてきたからその「面白くない!面白くない!」に文字の意味以上のものが乗っていて非常に好きな『怒涛の叫び』だった。

 

昨日のM-1から1日経って思い出したことと考えたことがある。当時私は学生だった。「未来への不安」と、「未来への不安を持っている自分」が好きだった頃合いである。ぼんやりと夢見ていた将来と、そんなうまくはいかないよなと思い改めていることと、そう思い改めることで自分へのフェイントにしていることと、何も関係なくただの怠惰で何もしないことの四足で歩いていたころである。

当時のツイッターで「朝井リョウって若いころに小説で賞獲ってオールナイトニッポンやって全若者の夢みたいな人生だな」というような趣旨のツイートを見たことがあった。特に著作を読んだこともなかったが、そのツイートだけで朝井リョウのことが嫌いになってしまうほどには染まりやすく、その染料の邪悪さにも気づいていなかった僕であるが、あえて小恥ずかしい言い方を選んで書けば、自分への全能感がまだまだ残っていた。恥ずかしながら、努力をすれば何とかなると思ってしまっている。気持ちが悪いが自分のことを「やればできる子」だと思っているし、これを気持ちが悪いと客観視しているところに、自分のカリスマ力(りょく)のなさ、結局何者にもなれなさが浮き彫りになっている。

 

蓮見翔と令和ロマンを直視できないのがこのあたりの理由である。

 

令和ロマンさん、優勝おめでとうございます。

せづね絵

動画サイトで見つけた、投稿日時が15年前のライブチャット

 

画質も悪いし、AVではなさそうだし、女優も好みの顔じゃない。

 

でも、なんだかとてもエロく感じて、気づいたら抜いていた。

 

ティッシュでふき取りながら、この人、今何しているんだろう、と思う。

 

女優が付けている名札に書かれた名前で検索したら出てきた、14年前で止まったブログ。

 

最後の記事は「アメブロに移行します♪」という言葉と、新ブログへのリンク。

 

新ブログへのリンクをクリックすると出てきたのは「ご指定のページは移動、または、削除された可能性がございます。」

 

この女優さんが持っていたであろう夢。

 

今日はまだ9月なのに寒かった。

こんなに歩み寄っているのに

こんなはずではなかったと思っている。自分の人生が、やりたかったことではないことをして進んでいく。4月の段階では、お金がもらえるとて自分の時間が減るのは嫌なので定時で帰りたい、と思っていたはずが、今では残業時間のほうが定時帰宅よりも割のいい給料が入るのだからありなのではないか、という考えに変わってきていて、自分が会社文化に最適化されていくのを感じる。金属バットは「どうトガっとんねん」というツッコミを引き出すボケとして「ラクから生まれる笑いはないのにな」と言っていた。会社から出される課題、それが本当に社会を良くしているのかもわからないようなことを夜に、夏でもすっかり日が暮れるような時間までやることは、むしろラクをしているとも言えるのではないだろうか。誰かのためになっている、誰かの必要性になっている、というのを錯覚しているだけであって、それを対価としてお金を生むことでその本質を見えづらくしているのではないだろうか。

 

陰謀論として、芸能人の薬物問題が大きく取り沙汰されるとき、政局はメディアに見せないためにサイレントで大きな法案を動かしている、という話がある。話半分でしか聞かなくていいような人からしか聞かない話なので眉唾ものであるが、この構造自体は大いにあり得るのではないだろうか。政治の話にしろコロナの話にしろ、滅多なことでは心が動かなくなってしまったが、金メダルを取った選手のメダルを手に取って勝手に噛む、という、その単純な気持ち悪さがもう無理すぎて、本当に嫌になってしまった。ああいう、最悪な相手にさえも選挙で選ばれてしまったばかりに選挙やリコールのような理論で戦わなければならないのがもう心底嫌だ。身の回りにある殺傷能力のある武器を用意して、有志を集めて名古屋市庁襲撃事件を起こしたとして、罰せられるのは俺になってしまうのなら、もう日本の政治に用事はないですね、せいぜいインターネットに迎合したり迎合しすぎて嫌われたりしていてくださいよ、と思う。付き合いきれない。俺はコロナとあの市長を心底憎んでいる。

 

オテンキ江波戸が廃業という、こんなにも悲しいニュースがあってよいものか。しっかりオテンキ江波戸のスペックを把握したのは、深夜の馬鹿力Podcastからだった。当時の自分には、レッドカーペットの小ボケ先生と、このラジオのオテンキがあまりつながっていなかったと思う。思い出なので時系列もあやふやだが、小ボケ先生の下らなさに涙を流して笑うことはあれど、ツッコミがどうとか、ましてやGOちゃんがマッチョだ、とかはあまり気にしていなかった。そんな中でのオテンキ江波戸、Podcastでの八面六臂の活躍である。小ボケパーソナリティーへの的確なツッコミはもとより、伊集院江波戸間の不仲説を自ら出してしまう伊集院への「帰りましょうか!?こんなに歩み寄っているのに!?」の咆哮、研ナオコを並び替えてコケ女にしてしまったり、見たことがないのにスターウォーズの好きな回を答えさせられたり、伊集院のちんぽに河野と同じ25点の採点をしたり、トイレに行っている合間に収録が始まっていたり、「河野さん、いるよ!」だけで笑いを取ったり、時にはのりとGOから「江波戸、夏でも長ズボン」という難しい弄り方をされつつ、江戸っ子なのに関西弁を交えておっぱいパブレポートをしたりなど、出演本数こそ少ないものの、江波戸活躍回を上げれば枚挙に暇がない。2011-12深夜の馬鹿力ポッドキャストの主人公は江波戸だったといっても過言ではないだろう。絶対に売れるに違いない、と思っていたが実際にテレビで見るのはウッチャンのやっているテレ東のネタ番組のみだった。ももクロともやっていたらしいが、俺は芸人の多い平場でのオテンキ江波戸を見たかった。有吉の壁のオープニング動画でタイムマシーン3号の山本が毎回矢面に引きずり出されているが、あれが江波戸だった未来も、俺は無くなかったと思う。そのくらい江波戸の可能性はあの、深夜3時過ぎのラジオブースではあっただろうし、それに誰も気づかない業界人はどうかしている、と思っていたし今でも思っている。

 

私は就職活動の時、主にテレビを志望していた。面接の際にはそれらしい理屈をつけるために言えなかったが、俺がテレビで絶対にしたかったことの2つのうち1つは、オテンキ江波戸のような平場の実力がとんでもないのに、チャンスがうまくものにできずなぜか埋もれてしまっている芸人をどんな形であれ世に出したい、ということだった。そんな江波戸の引退を聞いて、私は自分のことのように悔しい。

2020年を振り返る

 

昨年の年明けにこのようなツイートをした。どのくらい達成できたかを振り返っていく。

①納得のいく就職活動をする →△
これまでずっとテレビやラジオを見聞きしてきた身として、当然のようにテレビラジオ局が第一志望であり、大学生の間は、そこを目指した動き方をした。今まで縁もゆかりも無く、どちらかといえば嫌悪の対象だった体育会系の運動部に入り、インディードで「テレビ」と調べたら出てきたから、という理由で番組制作会社で下っ端としてアルバイトをし、何かにつながるかもという下心のみで映画監督のゼミに入った。いずれも楽しくないことはない。試合で大活躍することはなかったが、今までできた友達よりも強いつながりの友達ができた。放送局やスタジオに何度も出入りしたり、自分の人格形成に大きな影響を与えた人に会えてしまうかもしれない、という期待できるようなことがあった。その教授の名前を出したおかげで自分が大好きなものを作っている人に話を聞くことができた(そして、自分の考えの甘さに打ちひしがれた)。100点の大学生活とは言えないが、75点は上げてもよい。しかし、そんな75点の学生生活で立ち向かえるはずがなかった。並みの大学生よりは面白い文章を書ける自信があり、それ故にエントリーシートは面白いように通る。テレビ局ラジオ局では在京在阪含めて、落ちたのは2社だけであった。また、後のことではあるが出版業界の就職活動ではエントリーシートがすべて通過した。来歴を書くだけではなく、即興で書かなくてはならない三題噺が出版社の御眼鏡にかなったというのは今とても自信になっている。
エントリーシートが思うように通った後で、面接が面白いように落ちる。ことごとく落ちた。唯一1社だけ通ったテレビ局では、部活の話とアルバイトの話をしただけで、おそらく大学名と体育会という肩書きだけで通過した。そこでも、実践的な番組制作の試験で自分の色を全く出すことができず、あっけなく落ちた。
今考えれば、面接での自分には自信がなかった。文章力のおかげで、75点の思い出を限りなく100点に近づけることはできていたものの、面接で75点の人生を75点のままむき出しで出していた。定かではないが、就職活動を経験し、エントリーシートの通過者を決めるときには「順当枠」と「飛び道具枠」があるのではないかと感じた。留学経験や即戦力的な能力を持つ学生は順当枠で、特筆事項はないがエントリーシートで気になることを書いている人を飛び道具枠といえる。順当枠が飛び道具枠を上回ることはないが、順当枠の下のほうと、飛び道具枠の最上位は、規定人数によって変わったりするのではないだろうか。私は経歴や文章は飛び道具枠であったと思う。その中で、そこそこの知名度のある大学で体育会に所属しているという「背景の固まっている飛び道具枠」であり、そう考えれば、エントリーシートが通過するのはある程度必然だったかもしれない。そんなエントリーシートを書いておいて、面接で披露するのは75点の人生漫談である。キングオブコント2015のロッチのような失速だったと今振り返って思う。ラランドのユーチューブでニシダを面接する企画があったが、良くも悪くもサーヤの持つ、語り掛けるような自信を出さないと、ある程度練習は重ねた自分は、ニシダよりも見ていられない面接をしていた。
テレビ局ラジオ局の就職は全滅した。テレビは見ざるを得ないが、11歳から10年以上聞き続けていたラジオは今やほとんど聞いていない。特にTBSラジオは就職活動において最後のほうだったことから、今までの自分の面接の弱点を克服し、そして今までどれだけTBSラジオを聞いてきたかを熱弁できたつもりだったが、あっけなく落選であった。あれだけ聞いてきて、あれだけの熱量で語ったラジオを、全く聞いていない現実を考えると、自分はそれほど好きではなかったのではないかもしれない、と思っている。もっと好きな人、これからもいいラジオを作ってください。本心で心の底から応援しています。
結局、メーカーに入ることができました。当初の方向性としては違いますが、思っていたより自分がやりたかったことに近い仕事ができるのではないかと考えています。なので、納得といえば納得しています。

②懸垂ができるようになる →×
残していた筋トレメモによると、一月から二月上旬にかけては1週間に2回はジムに通っていた。「ハライチのターン!」「神田松之丞問わず語りの松之丞」をお供に、いつものメニューをこなしてから、粉プロテインをシェーカーで水と混ぜて飲むという、それっぽいジム通いを続けていて、元が細いおかげで肉付きが良くなっていくのが目に見て分かり、それをモチベーションとして維持できていた。
2月中旬ごろからめっきり行かなくなってしまった。理由は大きく2つで、一つはどうやらコロナはやばいらしいということ、そしてもう一つは、次々と内定を決めていく友人たちへの焦りであった。就職のことを考えると筋トレなんかしている心情ではなくなっていったことと、そうしているうちに外出自粛の世の中になり行動としてもジム通いが難しくなった。家では、昔買った腹筋ローラーが本棚の空いたスペースを埋めるインテリアとなっており、暇なときはこれでもやろうとぼんやり考えていたが、2020年についぞ使われることはなかった。
下半期にジムに行かなくなった理由をもう一つ挙げるとすると、ラジオを聞かなくなったことが大きいのではないかと思う。家でラジオを聞くとどうしても別のことに集中し聞き逃してしまうことが多く、大体は電車の中で聞いていることが多かった。しかし、通学やアルバイト通勤の往復2時間の間で聞けるラジオの量はたかが知れている。JUNKやオールナイトニッポンを聞いてしまうともうそれだけで一日分の移動時間が埋まってしまう。そこでラジオを聴く時間づくりとしてちょうどよかったのがジム通いだった。大体1時間程度を週2回作ることで、ちょうど1週間で聞きたいラジオがすべて埋められるようになっていた。そんな自転車操業をする必要のなくなった今、ジムの時間を作る必要性が当時に比べて薄まってしまった。名残でたまに行くジムでは「ハライチのターン!」を聞いてしまうが、聞き逃している回も多く、妄想学園ターン分校のコーナーが知らないうちに始まっていたし、その回で澤部のユースケサンタマリアによって終了していて、訳が分からないまま笑っていた。こういう付き合い方も悪くないのではないかとも考えるようになった。
書いていて思い出したが、就職活動の面接の際、コロナが明けたら何をしたいですか?というアイスブレイクの質問に対して、「いや~、筋トレしたいっすねえ~」と答えていた。筋肉質とは程遠い中肉中背の私であるが、オンライン面接であることで背格好と言動の齟齬が露見しなかったのは、言いたくないがコロナのおかげともいえる。
家の近くの公園で試しに懸垂をしてきたら、2回が限界だった。来年に持ち越し。

③週イチで本or舞台or映画に触れる →×
まず前提として、就職活動の年なのにこんな目標を掲げることに無理があった。そして、就職活動とこういう目標を両立できる人がエンターテイメントの業界に入るんだろうな、とも思う。諦めがつく。
今年読んだ本は活字が1冊、漫画が5作品、映画が3作品、舞台・ライブが10作品、配信が3作品で、半年間就職活動をしていたということを鑑みても少なかった。この計19作品の中でも、さらば青春の光藤井健太郎がタッグを組んだ映像ライブを見られたのは本当に幸運であった。森田がライブで言っていたように内容は「まあまあまあ、、、」で濁させていただくが、「テレビでもネットでもできない」「個人事務所じゃないとできない」の文言に間違いのない、藤井が言うところの「とんでもない」映像が見られてその日からは何も手につかなかった。しかしこのご時世、「女子禁制」の指すところが、たとえあまりにもショッキングすぎるからという配慮であったとしても、おぎやはぎ小木がいうところのピラニアの餌食になりかねないので、そのライブのことはもはや名前を出さないほうが得策であると考えていたので、ロンブー淳の番組で藤井が紹介していたのは意外であった。【「箱の中身は何だろな?」得意な芸人No.1 濱田祐太郎説】を収録するにあたって、パネラーを芸能界でも有数のバランサーの伊集院光バカリズムを揃えるような嗅覚の鋭い番組の演出家が、そこは大丈夫なラインとしているのかが気になる。まあ、配慮はあくまで隠れ蓑であって全く違う理由があるが。
一応、就職活動で向こう数十年は何をして過ごしていくかが決まってみて考えているのは、自分で何かを作るというのは辞めたくないと思っている。大学に入って毎年、形に残る制作活動はやっていて、そこに今まで見たものの良いとこどりをしてアウトプットという形にしていた。4月から会社員になれば、暇な時間は今の3分の1ほどになる計算であり、遊ぶ時間などを考えると自分で何かを作る時間はゼロになってしまう。22年生きてきて分かったのは、俺はいくらお金を払っていても、すごいものを見ても、3日するとすっぱりその事実を忘れて怠惰になり、比喩表現ではなくオナニーをしてしまう。だからこそ、新しいものを見たり読んだり聞いたりして、常に新鮮な製作衝動に浸っていなければならない。会社員一年目でどれくらい余暇活動を充実させられるかはまだ不透明であるが、今年と同じ量かそれ以上は見ていたい。

④女性に嫌われることを怖がらない →〇
気の置けない女友達がいない。中学受験をしたことで地元を離れた結果、小学校時代の友人とは一人も繋がっていないし、地元を離れてからも男子校に6年間通ったことで18歳まで母以外の女性とまず関わることがなかった。大学内でも、部活動に入ったことやハードラックなゼミに入ったことで、いわゆる「大学生」な感じのコンパもしたことがないし、サークルノリにも少し否定的な思いを抱くような世をひねた暮らしぶりであった。そんな背景もあり、大学3年の時に入ったレジャー施設のアルバイトの女性の多さと数少ない男衆の気持ち悪さに、「サークルじゃねんだから」と否定的なイメージを持っていた。
大学4年の今から考えると、中学に入ってから大学2年までの8年間を、まるごとこのアルバイトで回収している。私立高校から私立大学に行っていたので、年上でフリーターの友達もいなかったし、昨日まで一緒に勤務していた女の子が突然妊娠を発表してバイトを休むというのも空想上の世界だった。実に世間知らずだ。もし小学生時代の知り合いを大事にしていたら、フリーターの友達というのはもっと多くいて、自分も定職につかない道に行けていたかもしれない。周りが大学に進むから、周りが就職をするから、と周りに合わせてきているからこういう人生になったのだと考えていたが、実はその道しか知らないからだったわけだ。
小学校時代のころの女性経験しかない私にとって、いかにして女性とかかわっていくかというのは、真っ暗闇を手探りで進むようなものである。しかし、その小学生のかかわり方、というのが意外にも功を奏すことになる。「好きな女の子のことをいじめる男子」そのものだった私は、意地悪をする方向で女の子の気を引くことはでき、逆に共学出身の人には出来ない芸当だったのではないだろうか、というのは自分を甘やかしている自己分析である。
夏の夜の公園で、同い年でフリーターの女友達と二人でぐだぐだと話をする、という絵空事のようなこともした。バイト先にいるちょっと顔がかっこよくてモテる男にナンパされかけていた話を聞いたり、俺の持つ女性観・友達の持つ彼氏観、嫌いな人観、女性社会が思っている10倍難解である話など、温室育ちで安定に向かって進んでいる私にとって、フリーターのその女友達の話はすべてが新鮮に映った。自分は彼女に惹かれていた。
これが俗に言う腐れ縁か、と思っていた。恋愛感情はないし、付き合いたいという思いもなく、子供のデートのような付き合い方を、私が社会人になってアルバイトを辞めてからも月に1回ぐらいのペースで会って近況報告をできたらいいな、などと考えていた。そんなことを思いながら勤務中には意地悪をし合い、休日には一緒にテーマパークに行って遊んだり、高校時代に憧れていたことをしていた。
最後に一緒に遊んだのは、昨年12月に行ったテーマパークである。私と彼女と仲のいい女性のアルバイトと一緒に3人で遊び、飯を食う、といういつもの普通の流れをしたのを最後の遊びとなり、3日後にはインスタをブロックされていた。いつか公園で話をしたときにその女の子は「嫌いな人にはインスタを見られたくない、フォローされてもブロックして解除して、見られないようにしている」と語っていたことを考えると、何かをきっかけに死ぬほど嫌われたということなのだろう。その夜に思わず泣いたことを考えると、恋愛感情は必ずしもゼロではなかったのだと思う。ブロックされていた時にたまたまApple Musicから流れていた銀杏BOYZのエンジェルベイビーが、それまでと全く違う味わいを持つようになった。
卵が先か鶏が先かのような話だが、一人の女の子に嫌われたので、女性に嫌われることを怖がらないというのは相対的にクリアということにしてよいだろう。「どうして僕いつも一人なんだろう」は、俺の場合は俺に問題がある。

⑤月イチでちゃんとブログを書く →×
2020年は1記事もちゃんとした記事を書いていない。緊急事態宣言と就職活動でどうにかしてしまったときに、ツイッターで相互フォローをしてくださっている芽むしりさんにお願いをして「友好生物党の罠だー!!!」という新しいブログタイトルをいただき、以来その日に思ったことを日記調で書く「ブログ用メモ」というのを始めたが、「ブログ用メモ」が「ブログ」になる日は遂に来なかったし、そのメモも1か月も続かなかった。少し前に「産後うつ」という言葉がトレンドに上がったことがあった。産後うつが甘えかどうかは妊婦経験も出産経験もない私のあずかり知らぬところだが、俺の言ううつとは完全に言い訳と甘えである。
別件ではあるが、昨年末から日記を書き始めた。誰でも見られるサイトに置いていて、自分と関わりのある人は少し探れば見つけられるサイトに書き溜めている。ノートに手書きで写真を撮ってアップしているという、二度手間な日記ではあるが、3か月くらい続いており、俺にとって文章を書くことは、このくらいの付き合い方の方が続くと気が付いた。誰かの目を気にして自意識に邪魔された文章を書くのも、リミッターなしで不平不満を書くのもいまいちであった。以前藤井健太郎が受けていたインタビューで、昔のノールールのテレビよりも、今の規制やコンプライアンスの中で作るテレビの方が面白いと語っていたのを読んだことがあるが、同じ現象がかたや一個人の日記においても起こっている。
と、ここまで「誰にも言っていないが見ようと思えばだれでも見られる日記」の有用性について書いていたが、これは文章を書くことの習慣化したというメリットはあれど、文章力は決して上がっていない。前述の「自分で何か物を作り上げられるようになりたい」ということをかなえるためには、より多くの人の目に留まる場所に自分の作ったものを置く必要があり、その気恥ずかしさが向上心となるのではないだろうか。ラジオに投稿をしていた時、ペンネームとはいえ、自分の送ったネタに番組ハッシュタグの誰からも反応がなかった時に、絶望するほどの羞恥心に包まれた経験があり、それがばねとなってさらに斧鉞を加えたネタを送るようになっていった。
大学に入ってラジオ投稿をやめてしまい、そんな経験もしなくなった。勉強はそこそこできてしまうので、読んだ本や調べたことをなんかいい感じにまとめて、それなりの評価を得る以外は何もしていなかった。月並みで気持ちが悪いゲロを吐くような表現であることを承知で書くが、自分にとってラジオ投稿というのは部活動のようなものだった、と今になって思う。1週間かけて仕上げたネタを選んでもらい、自分のほうが面白ければ読まれる、面白くないと読まれない。とにかく読まれたい、という一心でネタを書いていた。昔、元はがき職人構成作家をやっているという人のインタビューで「闇パワーの最大値は意外と低い」と書かれていて、当時はそんなわけがないし、勘違いするなと憤っていたが、あの時私が抱いていた「読まれたい」という気持ちは題材が深夜ラジオだから分かりづらいが間違いなく渾身の、希望に満ちていて闇パワーなどというものではなかった。
この一連、蹣跚と当てもなく思いつく文章を書き続けた「ブログ用メモ」のパートになってしまったが、とにかく思ったのはたまには世間に出して恥ずかしくないような題材で、世間に出して恥ずかしい文章を書いて無視されたり認められたり無視されたり無視されることで、今自分にできないモノづくりができるのではないかと思う。昔何となく手帳にメモした、伊集院光の朝のラジオのレポーターのホームランなみちが言っていた、「きっと誰かが見てるはず」を真に受ける向こう数十年にしたい。ホームランなみちの評判、ラジオでしか聞いていなかったのに、そのラジオも聞いていないので今どうしているのだろう。ホームランなみちの言葉は、少なくとも俺は聞いていた。

⑥小説を書き上げる →×
ブログの一つもかけないやつが小説なんか書けてたまるかよ、と川端康成も言っている。しかし最近、小説の題材になりそうなテーマをiPhoneのメモに残す、という小説などさらさら書くつもりのない文学部女子のようなことをしていて、微々たる一歩は歩みだしており、来月にはこの設定がいかがか、というのを知り合いの舞台女優兼脚本を書いている友達にネタ見せをするという予定まで入っている。MOROHAは「デカい夢があってそれを語り合える友達がいて 女はいないけど酒は美味いし悪くない、悪くないとは思うんだ」と歌っているが、デカい夢を語り合うことを恥ずかしいと思っていた私は、そんな飲み会をしたことがなく、だから人間性の深みがない。薄っぺらい人間なのである。だからこそ、いまデカい夢を話したいような人間になれていることに少し嬉しさを感じているし、人生で持つ感情の1週目を走りだせたことへの希望も積んでいる。実は今までピンといていなかった、電気グルーヴN.O.の「話す言葉はとってもポジティブ 思う脳みそほんとはネガティブ」に入れている気がして、人生の中で今が一番希望に満ちているのではないか、とさえ思えている。来年の振り返りブログで揺り返しで散々なことになっていないといいが。


と、2020年はこのような感じで1勝1分け4敗でした。この7900字の文章を書くの自体に20時間近くかかっているので、パソコンで内容のある文章を書くときに筆が遅くなってしまうのをどうにか改善したい、というのが2021年の技術的な目標です。大変遅くなりましたが、新年のあいさつとさせていただきます。今年もよろしくお願いいたします。

あと、川端康成は「ブログの一つもかけないやつが小説なんか書けてたまるかよ」と言っていません。当ブログはこれをデマであることを認めます。津田大介さん、これを読んでいてもさらし首にしないでいただけると助かります。

【ブログ用メモ】一方、オレはうつになりそうで

・キラメイジャーに夢中だ。ここ最近で一番ワクワクして見ているテレビ番組の一つで間違いない。今日は6話7話を見た。6話は、私一押しのキラメイピンク・小夜ちゃんが敵から受けた衝撃により、見た目はそのままに精神年齢が5歳になってしまうという物語。小夜の過去が明らかになり、5歳の小夜が捕らえられた4人のメンバーを救う。この小夜ちゃん、見ていれば見ているほどすごく好きになる。まず、かわいい。そしてお姉さんとしてキラメイジャーをm女性目線でまとめている。さらに兼業では医者をしており、危篤状態の患者をも救うときてケチの付け所がない。そんな小夜ちゃんが5歳になるのだ。この5話まではあまり目立って何かしていた描写がなかったからこそ際立っていた、強い小夜お姉さんが、泣き虫で引っ込み思案の5歳の小夜ちゃんになるのだ。これ以上何か書いたところで自滅しかねないので自分の心情には敢えて触れないが、もう虜である。7話ではチームの中でも一番弱いリーダーが、ほかのメンバーの得意種目で特訓を行うという内容。我らがキラメイピンクの小夜ちゃんが、合気道姿でレッドをしごく。もう、メロメロである。「キラメイジャーに夢中である」というより、「キラメイピンクに夢中である」といった表現のほうが正しいかもしれない。そんな、私のお姉さん・キラメイピンク小夜ちゃんこと工藤美桜さん。少し調べてみたら、私より年下であった。俺は何をしているんだろうと思った。

【ブログ用メモ】ブログを書くということ

・なにが就職活動だよ馬鹿野郎が!!!!

 

・キラメイジャー4,5話を見た。考えたのは、たとえば鬼滅の刃は主人公が修行や特訓、戦いの中で自分自身が強くなっていくことで敵をやっつけるという物語の一方で、キラメイジャーは本人の能力値はあまり変動しないけれど、戦いの過程で一人一人のバックボーンが明らかになり、最終的に5人の結束力を深めて敵をやっつける、というもの。子供のころからこういう物語に触れられたらすごく良い子に育つのだろうと思った。さらに言うと、少し前にも触れたシベリア少女鉄道レベル1みたいな伏線回収も毎話に仕組まれていて、これが意外と巧妙で侮れない。ストーリー性がすごく面白いので、夢中だ。

 

・QuickJapanをようやく購入できた。好きなtwitterの人が寄稿した記事目的で買った。今までブログで読んできた空気感そのままの文章が、さっきまで店頭に並んでた本に書書かれていることにすごくざわざわとして、自分のことでないのに泣きそうになった。好きな人に好きと伝えることは難しいけど、それをやらないともっと好きな人ができたにはもっとつたえられない。

【ブログ用メモ】ほぼ義務

・5月ってこんなに暑かったっけ?と疑問に思うが、思い返してみれば5月は暑い。未知のウイルスが外の世界を支配するようになって数か月経った。暑さを感じることに違和感があるのは、桜を始め季節感的なイベントを一切こなしていないからだけではなく、ウイルス自体に冬のイメージがあるからではないかと最近気が付いた。少なくとも、体もそこそこ丈夫で花粉症の心配もない私は、春を過ぎてマスクをして出歩くなんて考えられなかったし、冬にも、インフルエンザが流行っている手前群集心理的にマスクをすることでしかマスクをしなかった。その前提がある中で、マスクが「ほぼ義務」となったご時世である。2週間前、マスクをしてウインドブレーカーでランニングに行ったときと時期の差を感じづらくなっている。夏はすぐそこまで来ている。