被虐嗜好のサディスト

紺野ぶるまの単独ライブのフライヤーが良い。「紺野ぶるま処女単独ライブ ぶるま、夜の新宿でかけまくり」というどうかしているライブ名に準じた、完全にアダルトビデオのパッケージのそれだ。自身の写真も、白いソファーに一人おしとやかに座るAV初出演のような出で立ち、さらには表紙だけでなく背表紙まで再現している。彼女にしかできないことだと思うし、フライヤーをAVっぽくして背表紙もつけちゃおうとはまずならない。

 

少し前、僕が寝る前ツイッターを見ていたら、ボンテージ姿で写る紺野ぶるまの写真を見つけた。若干被虐のケがある僕なので少し気になったものの、行動を起こすのは次の日以降にしてそのまま眠りに就いた。紺野ぶるまが夢に出てきたのはその夜だった。

 

僕とぶるまは僕の自宅の洗面所にいた。扉を隔てて隣のリビングでは母親が料理をしている。そんな中でぶるまは少しずつ僕に近づいてくる。いたずらっぽく笑うぶるまに僕は彼女が何をするのか感づいていた。とにかく今はぶるまのなされるがままにされよう、声さえ出さなければ壁の向こうに気付かれることはない。決心も束の間、ぶるまは壁に追いやられた僕の唇を奪って何度も舌を入れる。上手だった。しかし僕も初めてとは言えない。見よう見まねで舌を入れて応戦した。するとすぐに唇は離れて行った。無意識に目を閉じていた僕が目を開けると、そこにはぶるまがいつもとは違うような、でも確かに笑顔ではにかんでいた。ここで一つ目の記憶は途切れている。夢は第二幕へ。場所は変わらず洗面所、扉を隔てて向こうには母の料理音、僕とぶるまも相変わらず二人きり。僕は歯磨きをしていた。そこであった違和感は二つ。一つは歯磨き粉をつけていない水磨きだったこと、もう一つは歯ブラシを持たない左手ではぶるまの首をつかんでいたこと。僕はぶるまの首をつかみ、顔がこっちを向くように仰向けで洗面台に首を押し付けていた。不安そうな顔で見つめる彼女、ただ歯磨きを続ける男。男は力づくで押し付けていた左手の内、親指を彼女のあごに沿わせ、口を開けるように親指を引いた。彼女も従うしかなかった。男の眼光が鋭くなる。歯ブラシを口から抜くと男は口腔に溜まった水を彼女の口に吐くように移した。突然のことに目を閉じる彼女を、僕は深い満足の表情で見つめた。僕の水を被ったぶるまも、今度はいつもの笑顔で僕を見つめていた。

 

質問は二つあって、一つは僕はマゾヒストなの?サディストなの?これは何フェチ?

二つ目はこれで大賞取れる文学賞を知りませんか?

あの感じ

馬鹿力、主に少しおもしろいのコーナーでたまに出てくる「あの感じ」で締めるネタがそんなに好きじゃない。世の中を斜めから見てます、っていうのを押し売られてるような気持ちになる。「あの感じパターン」として成立して以来、いくつか読まれているのだけれど、投稿してる人はそれでいいのか?と思う。週に1通しか送れないという厳しい規定があるこのコーナーで、最近気づいたイラッと来ること報告に使ってしまうってのは投稿者の気持ちとしていいの? そして僕は今週のこのコーナーで「あの感じパターン」の投稿が採用されました。散々心の中でバカにし続けてた奴に自分がなっていると気付くときの、あの感じ。

 

「パクリかオマージュか」みたいな話は最近特によく聞く。エンブレムについては確かに似てるけど、そこまでみんなして責めなくてもいいんじゃないかなって考えてます。ネットの人に”責めてる”の意識はないだろうけど。この前ネットで見た意見で、「芸人さんのネタに「○○のパクリ」とか言ってる人はパクリで名声を得ることに抵抗が無い人だ」というのがあった。単純なことなのに全然気づかなかった。話を戻して、パクリのことについて。「あの感じパターン」は、聞いてる人の中にはパクリと思う人もいる気がする。正直、あの感じパターンで採用される前の僕は、あの感じパターンが採用されるたびに「ああ、あの感じパターンね」と思っていた。今も、あの感じパターンを使ってしまったのは悔しい。やっぱり僕は自分の考えたフレーズで笑わせたい。パクリで笑わせたって、ノベルティのカードを貰ったって全然うれしくない。パターンとパクリは全く違うものとは分かっているけど、でも嬉しくないのは一緒。厚切りジェイソンに言わせれば「パターン見えてきたよ!!」と言ったところだろう。

 

上手くまとめたようで何も上手くないのは置いといて、最後に没ネタについて書きたい。時々自分の没ネタをネットに上げている人を見かけることがある。あれはどういう考えの下で出来てるのかがわからない。僕は、さっき書いた「あの感じパターン」のネタよりも前の週に送ったネタの方が面白いと思っているのだけど、この前の週に送った奴には読まれない相応の理由があるわけで、その理由の大部分はつまらないから、である。そんなつまらないネタを自分で面白いと言ってしまう奴のユーモアなんてクソほども信じられないとは分かっているし、これ以上恥をかきたくないから没ネタも出してない。ツイッターでネタっぽいことを書くときでも、テレビを見ててふと思いついたはいいものの、練って本ネタにするほどではないものをツイートしている。こちらはフォロワーがいないので気楽にできる。でも一回ラジオ局の人、更にはパーソナリティが目を通したものをツイートするのはいくら誰も見ていないとはいえできない。そして、没ネタをアップしている人の没ネタを読んで、なるほどねとほくそ笑む自分の、あの感じ。

アニメを観た

前回の記事から2か月以上、ブログ開設からだと3か月以上経っているのにまだ一記事。自分の機嫌の良さ、イライラしていなさ、さらに書く勢いに任せでもしないと記事をアップできない。現に下書きには記事が3つ入っているが、なんとなく機を逃していてもう公開しづらい。誰が言っていたが、こういうのは勢いが大切。さんまさんかな?さんまさんが言ってたと思います。

 

『あの夏見た草花の名称を我々は知らないナリ』(またの名を『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』)を本当に今さらながら観た。少し前の深夜の馬鹿力で伊集院さんが話題に出していたのを聞いて少し興味は持っていたものの、まだ「アニメ」という先入観から見るのを躊躇っていたのだが、もう恥ずかしいとか言ってる場合じゃなくない? という脳内ベッキーのポジティブさにやられて遂にTSUTAYAでレンタル。この時たまたまTポイントカードのレンタル有効期限が切れていて、レンタルと同時に更新したのだが、お前あの花見たさにわざわざ更新してんの? という店員の視線は少し恥ずかしかった。そんな山田勝巳がギリ乗り越えられるか乗り越えられないかくらいの壁(店員)を乗り越え、午後10:30頃に1巻を見た。次の日が早いので1~2巻だけ見て残りは明日…くらいに考えていたが気が付くと日付が変わって午前2:20、テレビに6巻のDVDをエフエフ泣きながら入れていた。そして午前4時、今勢いでこのブログを書いている。あと2時間後までには英語で論述を書かなくてはいけない。でも、書きたいのはこっちなのでこっちを優先したいと思う。ネタバレ(もう気にしないといけない時期は過ぎたのかもしれないけど)はなるべくしないように書くつもりですがちょっと入っちゃうかもしれません。すいません。

 

 

結論から言うと、泣いた。なんというか、そりゃ泣いちゃうよ、って感じ。でも演出で泣かされたわけじゃないし、悔しさのない泣き。心地良い涙。僕がこういう感動モノに極度に弱いというのもあるけれど、第三話の時点で軽く上を向いたりして涙をこぼさないようにしていた。一番最後の最後のシーンも、シラフで見ていると斜に構えてしまって泣くわけないだろ!みたいな展開なのだけれど、そこに至るまでの泣かせる伏線が効いているものだからためらいなく泣けた。この感覚は久々なので楽しかった。今までアニメをほとんど観ず、なんとなく避けてきた人生に疑問を持ったことが無かったが、あの花で理由が分かった。僕は人より感動もので泣くし、その分感情移入もひどい(良い意味でも、悪い意味でも)。だから、ドツボにはまってしまう。アイドルもそう。うら若い少女ががんばってる姿を見てるととても応援したくなってしまう。入り口は明るい色で彩られているが、落ちてしまえばそこはただのドツボ。そればっかりになっちゃだめだな、っていう無意識の防衛本能が働いていたのだろう。なのに今回このドツボに敢えてはまってみて、予想通りの結果だった。でも、ドツボもドツボでいい。だから、それもまた、一つの娯楽に会えたということだと捉えてみることにする。あ、最後に、これは言及した者負けだと思うけど、じんたんのTシャツ、あれは何なんだよ。感動のところで胸に「白ネギ」とか書いとくなよ。

ブログ

「ブログを始めた。始めはしたが何を書けば良いかがわからない。」

 

とここまで書いて1か月くらい置いていた。今日こそは書くぞ!と意気込んでも、私を迎えるのは「まだ記事がありません、さあ書いてみましょう」という言葉。一回も書いていないから当たり前なのだけれど、運営側から急かされている気がしてこの言葉を見るたびインターネットの大空を逃避行するのであった。

 

さかのぼれば1か月前。ラジオに送るために苦手な長文を書いている途中、自分の文才の無さが遂に嫌になった。少ない脳を絞って絞って絞り切った末の、鶏ガラのようなアイデアを下手な文章のせいで無駄に消費している。鶏ガラでも上手に煮込めば良いダシが取れるというのに。お湯以下か。文章がうまくなりたいと切実に思った。で、考えたのがたくさん文章を書けばいずれ面白い文章が書けるんじゃないかという、今考えると恐ろしく楽観的なもの。この熱が冷めないうちにとばかりに開設したのがこのブログ。発言に責任を持つためペンネームを名乗り、それっぽいタイトルをつけて、さて本文というところで文章熱が冷めた。夏の海は、夜に入っても温かいそうだ。水には温まりにくく冷めにくいという性質があるらしい。海水でさえなかなか冷えないというのに。小一時間で文章熱の急速冷却。海水以下か。塩水以下か。

 

ここまでで550字。僕はワープロで文章を打つのに向いていない。1時間ぐらいかかっている。キーボードを見ないでタイピングできるのに、その速さに脳が追いつかない事が多い。追いついても今度は追い越して、ひとつ前の文章を手直ししたりする。だからどこかで止めないとひっきりがつかなくなる。この辺でやめます。