同窓会はつまり知らない人しかいない飲み会だということ(まだ行ってもないけど)

マイナビのラジオCMは、いろいろな条件でアルバイトが探せることを示すために、バイト先の条件を列挙する場面がある。「接客で検索も、シフト自由で検索も、かわいい制服で検索も、女子からモテモテで検索も、人付き合い苦手苦手苦手で検索も、こんなバイトしてる俺ってリア充!?で検索も、バイトっていうか正直サークル的な感覚っすで検索も、、、」といった感じ。これを書き起こすためだけにパソコンのradikoのタイムフリーでラフターナイトの2周目を聞いた。キラキラ関係の女と3時のヒロインの太っていない女は、何か変なところにプライドを持っていて、最後のところでその変なプライドが邪魔してコンビ(トリオ)として跳ねきれない原因を作っているという雰囲気が似ている。フジテレビのウケメン、結構面白くなりそうな感じなので毎回見ている。番組中の演出とか、あそこまでヤング世代に寄せる必要はあるのだろうか。新しい波の時に、tofubeatsのディスコの神様のサビが楽屋ドッキリの検証結果で流れてて、なんで?と思った。別に深い意味とかないんだと思う。だけど、やってる内容は面白いのになんとなく見ないでもいいやってなっちゃうのってそういうところが原因なんじゃないだろうか。インディーズの誰も知らないようなバンドの曲を使うのがセンスでもあれば、流行ってる曲の流行ってる部分をそのまま使わないこともセンスなんじゃないか。

 

新しいバイト先が、まんま「バイトっていうか正直サークル的な感覚っす」だ。今日が出勤日だった。入った当初は「嫌だ」だったが、なんというか、アリになってきた。まあこういうのもいいんじゃないかな、となってきた。2年前、「闇パワーの最大値は意外に低い」と語ったはがき職人を心の中でボロクソにけなした自分が、「サークル的な感覚っす」の中に身を置くことを良しとしてしまうことが何ともむず痒い。2年前の俺を殺すことは、まだ俺にはできない。2年前に培った、マイナス方向の人生観・倫理観が今の自分を形成しているといっても過言ではない。「サークル的な感覚っす」を良しとしてしまうことは、回りまわって今の自分の存在そのものを否定していることになりはしないのか。持っても仕方のない不安を胸にしまいつつ、帰りに、すれ違ったバイトの先輩が、女子バイトにくそ下ネタで話しかけていて「こんなバイトしてる俺ってリア充!?」を体現しているようで、分厚い嫌悪感に包まれた。自我の崩壊について、とりあえずは大丈夫かなと思った。

 

ベローチェの空調が寒い。

 

小学校の同窓会が近々ある。中学受験をした僕は、小学校時代の友達の連絡先をだれ一人として知らない。それなのに、わざわざ1か月前に実家の電話番号に誘いの電話がかかってきた。小学校時代のクラスメイトに会いたいという気持ちはあるが、同窓会に行きたいかと聞かれると話が違ってくる。たまたま言ったコンビニでアルバイトしているクラスメイトを見つけて、おお、久しぶりじゃん、ぐらいのテンションがいい。果たして俺は同窓会に行くのだろうか。それともまたベローチェでブログを書いているのだろうか。久しぶりにバニラ百景を考えてみるのもいいな。