苦しめ
命令系ではない。ヤバめ、しんどめ、みたいな、断定系に徐々になっていく過程としての「苦しめ⤴」。
5月ごろ。年明けから、これを目指して頑張るぞ、と思っていた目標がなくなってしまった。それ以来、何に対して頑張っていたのかがわからない。これから何に対して頑張ればよいのかわからない。ここで頑張れれば、クモの糸のような細さの希望ではあるけれど、何かが変わるかもしれない、と思っていた気がする。しかし、その希望がなんだったのか、あの時に考えていたのは光なのか、もしくは誘蛾灯のようなもので、釣り針に刺さった餌を求めてあてもなく泳いでいる魚だったような気がしなくもない。
どうやって頑張ればよいかがわからなくなってしまったので、今は、その目標がひと段落したらやろうと思っていた、steamのパズルゲームをダウンロードして延々とクリアしている。
一緒に頑張ってくれていた人は、目標はなくなったけど最後まで行くぞという粘り強さを見せ、最後まで進んでいた。最後まで進むことが大事ですよね、と何度も確認しあったのに、私はというと、その目標が潰えて、頑張るとは何なのかがわからなくなり、立ち上がれなくなってしまった。
話は変わるが、夏から異動になり、転職くらい仕事の内容が変わる。その引継ぎの真っ最中であるが、その様が終わりなき旅すぎる。今の職場で2年間、何を目標に頑張ってきたのか、目先の売り上げを作っていたことに対して、果たして何を誇れるのだろうか。それを次の人に引き継ぐということ、「継」という言葉が受け付けない。継続、中継、後継。何かを後に託すための引継ぎ。仕事に対して、やっている途中は、やりたくないだとか、面倒だから今日は帰ってしまおうだとか、そういうことを思わない、良くも悪くもという接頭語をつける必要があるが、愚かしいほどにまっすぐ進めるひとになりたかった。強さを感じさせないくらい強くなりたかった。
苦しめ。どうせ頑張れないのだから、苦しめ⤴でも苦しめ⤵でもある。
普通に落ち込むこと
ものを上流から下流に流す仕事をしているが、俺の必要性は何なのだろうか。農業や漁業みたいに素材をとることもできなければ、著名人のように夢を売ることができない。商売が力を持ちすぎている。電通が政府仕事で他会社を制圧しながらマージンを大儲けしているみたいな話があるが、それはそうだろと思う。電通がなくなったとして、じゃあ誰が取り仕切ってできるのか考えていない、条件反射だけで怒る人がインターネットで目についてしまうので、最近はもう普通にミュートしている。やめましょうよ、とかの話ではなく、士農工商の順で商売が一番低い身分(その下がどうこうとかはいったん置いて)だったころというのはとてもよくできている。勉強していたころは正直、商人がいないと成り立たないのに、とか考えていたが、そんなわけはない。流れ星☆のたきうえが、ちゅうえいのギャグを「自分が考えたわけじゃないギャグをやっているのに人気者になっているのが腹立つ」めいた主張をしているが、まあたきうえの態度はともかく、言葉だけで見れば一理はあると思う。でも、技術だったり、おもしろそうに見せるちゅうえいの人柄はたきうえには適わないわけだから、調子に乗っちゃうのは実害が出てくるまで待っとけと言いたい。そこまで考えたところで、たきうえの草案は果たして農業なのか? と思う。ちゅうえいの顔から作られている名作『ガンダム』、ちゅうえいのコミカルな動き逆算の『肘神様』など、ちゅうえいという素材に合うギャグを作っているという観点からいえば、”工”なのではないだろうか。つまり、農商の部分を両方受けているのはちゅうえいなのではないだろうか。
話を戻して、自分の仕事。ポケカの転売と変わらないと言われたときに何かを言い返せるか、今日一日ずっと考えていた。商売の交通整理といえば聞こえはよいが、マージンを取ることに何の意味があるのだろうか。転売屋が言い訳として、水道水に例えている2chまとめの画像は半年に1回くらいのペースで目にさせられるが、”転売屋は水路を止めている状態”で喝采が来ている状況にあまりピンときていない。反論するときに、例えの脆弱性をつくことは言葉遊びでしかない。わかりやすいから出しただけであって、その問題点を突いたところでそれはおはなしでしかない。俺はいままで仕事上でたとえ話を使ってきて酷い目に合ってきたが、そのことに気づいてから非常に楽になった。かかって来い。
話を戻して、転売の件。無理くり定価で全部買って、そこにマージンを仮に50%乗せるとして、定価の1.5倍の価格が正規価格でメルカリで流れると考えたときに、定価が1.5倍になっているから違和感があるのであって、その商流がブラックボックスになっていたらそれは市場にでている価格が定価になるから、文句が出ないと考えるのが自然だと思う。そう考えると、メーカーが設定しているオープン価格ってめちゃめちゃ賢いと思う。卸価格だけ設定して、あとは皆さんが勝手に決めてくださいね、の姿勢は、本当に賢い人が作ったのだろう。子供のころは意味が分からなかった商売の形がここにある。こういうことってみんなどれくらい知っているのだろう。日本人の3割しか知らないこと、みたいなテレビ企画があると俺はほとんど初耳のことばかりなのだけど、俺って7割過ぎるのだろうか。大学卒の経歴は何の意味もないのだ。こういう、商売の形の話は常識なのだろうか。資格とかがないから読み取れない。ご存じ!みたいな顔をしてこの話をしていいのか。大原櫻子がご存じ!みたいな顔をして鬼レンチャンとか出ているの、本当に?と思うけど、そういう感じになってしまっているのか。
以上、全部の話がうまくまとまったところで本日は店じまいです。
喫茶店で、頼んだのと違うサンドイッチが来た日にその勢いで書いている。仕事のいろいろが溜まってしまったのでこういう文章を書いてみる。人生はままならないなあ。
糞なら覚めて。
ヨーロッパ企画 ビルのゲーツ を見る。
システム面白い。1個目の感想で脱出ゲームみたいで楽しそう、が出てきてしまう自分の浅はかさが悔しい。仲間の加わっていく理由付けがただの説明だけでないところがよく考えられていて面白かった。その分、ラストのシーンそれでいいんだ、とも思った。想像をスカされて終わってしまった印象とでもいうのだろうか。想像が大きすぎたのも一因ではあるが、あそこまでフリを作られてしまうとどう超えてくるのかが気になってしまう。
大脱出の公衆電話クイズ部屋のAV版を考えている。案を紙に書き出していたが、これはやっていることが構成作家になりたいボーイなのでは? と思い止す。「ハードなアダルトグッズを使用したオナニーの感想を答えよ」というクイズで、NGが多そうなグッズを指定し、やってくれそうなAV女優の友達に連絡を取って、そこから連絡先の女優の自宅での自慰の様子を撮影してもらうパートにいったん突入する、みたいなことを考えていたが、何にも活きないだろ。
透明のようじゃダメか。オシッコはね、黄色くないと。
3年越しで正解が出る。記事ではないが、もっとしょうもないものに。
「出来る営業マンは時短の為に信号無視をしている」みたいな記事が出かねない時代
— 服毒ベーカリー (@borderporo) 2021年6月21日

ジョニー志村の宣材写真。逆転裁判の悪役みたいな人相でかっこいい。
これは本当にエロ目的ではなくで、○○円の投げ銭でエッチなことをします、みたいな配信を見たのだけど、そのウーワとなる感じったらない。これに対して怒れるほどのパワーもない。
三店方式のような、全員が紳士たるから成り立っている仕組みが好き。インターネットがあるので今から新しい三店方式は作れないのだと思うが、作れない世界は果たして楽しいのでしょうか。
揺れながら落ちるなよ ハンモックで射精したときのザーメンじゃないんだから
日食なつこ「水流のロック」にはまりまくっている。1曲をループで聴くタイプなので、自分の中における音楽の旬は短くなってしまうのだが、水流のロックは飽きたくないタイプの曲。別の曲で薄めながら聴いている。チェイサー曲として今一番良いのは「ゲレンデがとけるほど恋したい」。
あのツイートを見て、受けた周囲の人の感想の中で頭に残ったもので「今まで出会った人の中では女性のほうがおもしろいことが多かった」はあの論争の中で一番言ってはいけないことなのでは? 主観だし、なんとなくジェンダーバイアスがかかっている気もするし。フラットな立場からそういう理論を勉強している人に話を聞きたい。まず発言者自体のことがあまり賛同できない考え方が多いからなんとも言えない。
名探偵津田第3話。仕掛けはリアルタイムで見たかった。説の内容的にまあいいかと思ってしまった、、、藤井氏のリアタイ匂わせツイートもなかったが、そっちのほうが明らかに面白いし仕方ない。
今回のプロデューサー役として役者の人が出ていたけど、確かにあそこで藤井氏が出てこられても、知っている人以外はなんかオシャレな感じな兄ちゃん(あんちゃん)が出てきたなあと思ってうっすら醒める感じがあるので、その辺りの自分が俯瞰で見えているところが良い。かといって自分が自分が、としている番組が嫌なのではなく、例えば寄生番組パラサイトに、寄生スタッフとして一旦映る板川氏はなんというかその風貌なのか、「寄生」が出ていてとても良いと思う。でしゃばってより良くなる所ででしゃばっている。
IFFCネキ(泰葉)
「即売イベントに出店して楽しいの?」みたいな記事を読んだ。
まあ言いたいことはわかるけど、記事の筆者とコメントでは意見の厚みが違う、ということはもう言わないでもよいことなので置いておくとして。こういう文章が手の届くところにある子供が本当にかわいそうだ。これを読んでいない人生でしか書けない文章は山ほどある。
途中で「本を万引きすることでカルチャーを得る我々は」とか書こうかと思ったが、ネコニスズ状態になってしまうので止した。
2列のエスカレーターで、歩く人を少なくするための理論が「輸送量が増える」なのはどうやっても効かないだろう。あくまで自分が早く行きたいからであって、別に全体が回って人数を裁けるから、と言われてもピンと来ない。俺単体でいえば歩くほうが早いから歩くか、にしかならない。歩いた末路としてひどい目にあっている姿を思い浮かべさせる広告が欲しい。
白井ブリーフの黄ばみなぞかけ
中学の頃に読んでいたブログで、毎日の活動記録の最後でおまけ程度にその日にオナニーをしたかしていないかを記載する、というものがあった。毎日のように「今日は1回しました」とか多い日は「今日は3回しました」とか書かれていたと思う。大人になってそんなにする奴があるかと、若干のフィクションを感じていたが、その時のブログ主とおそらく同い年くらいかそれよりも年上くらいになった今、全然毎日していて、なんだかわけがわからなくなってしまった。
久しぶりに文章を書くようになって、思いついたことをある程度人が見られるような形で残すためにブログを復活させたものの、オナニーの話を残すぐらいならば復活なんてさせなくてよかったのではないだろうか。でもあの時読んでいたブログのことは10年ぶりくらいに思い出せたので、記憶の引き出しは開けやすくなってきている。なんてそんなハッピーエンドな訳はない。山田ルイ53世が「あの時があったから今がある、なんて良いもんじゃない」みたいなことを言っているのを読んだことがある。引きこもりとか、壮絶な過去に対しての話なので、こんなオナニーのことをトリガーにして思い出すのは非常にボンジュールなのだが、この感覚を持っている人が好きだ。復讐心と負けず嫌いの違いというのか。あの時が今のあなたの人格を作ったんですね、とか言った後に、返す刀としてこれを言われたら真っ二つになってしまう。刀をどう磨くか。
最近、時間が空いたらカラオケで鬼レンチャンのまねごとをしている。その影響からか、普通に車で曲をかけているとき、何百回と聞いている曲でも、この音はあまり発音されてないから、鬼レンチャンの時は文字で切って歌わないと外すな、みたいな考えが出てきて、新しい楽しみ方ができている。そう考えると、ネタ書いている芸人がほかの人たちのネタを見るのって死ぬほど楽しいんじゃないか?
今日は2回しました。