すべてやっかみと自己嫌悪

水曜日のダウンタウン「スベリー1グランプリ」にて、企画の性質上つまらなかったほうが勝ち抜いていくことで不自然になってしまう審査に対して、観客の納得感を高める役割を担わされていたウエストランドが、推薦芸人が集まる控室に入って来るやいなや「面白くない!面白くない!」と騒いでいるのが本当に好きだった。

M-1チャンピオンという肩書、井口が違和感を言語化できるからこそ、逆に褒めるほうにもその能力を活用できるだろうという信頼、そして、潜在的に井口が人から下に見られる前提、その『小市民』が伝わっている分、その喚きにも全員が耳を傾ける。M-1優勝後、1年間各媒体で信頼を重ねてきたからその「面白くない!面白くない!」に文字の意味以上のものが乗っていて非常に好きな『怒涛の叫び』だった。

 

昨日のM-1から1日経って思い出したことと考えたことがある。当時私は学生だった。「未来への不安」と、「未来への不安を持っている自分」が好きだった頃合いである。ぼんやりと夢見ていた将来と、そんなうまくはいかないよなと思い改めていることと、そう思い改めることで自分へのフェイントにしていることと、何も関係なくただの怠惰で何もしないことの四足で歩いていたころである。

当時のツイッターで「朝井リョウって若いころに小説で賞獲ってオールナイトニッポンやって全若者の夢みたいな人生だな」というような趣旨のツイートを見たことがあった。特に著作を読んだこともなかったが、そのツイートだけで朝井リョウのことが嫌いになってしまうほどには染まりやすく、その染料の邪悪さにも気づいていなかった僕であるが、あえて小恥ずかしい言い方を選んで書けば、自分への全能感がまだまだ残っていた。恥ずかしながら、努力をすれば何とかなると思ってしまっている。気持ちが悪いが自分のことを「やればできる子」だと思っているし、これを気持ちが悪いと客観視しているところに、自分のカリスマ力(りょく)のなさ、結局何者にもなれなさが浮き彫りになっている。

 

蓮見翔と令和ロマンを直視できないのがこのあたりの理由である。

 

令和ロマンさん、優勝おめでとうございます。